筆者は朝日新聞記者で現在「GLOBE」副編集長。
本書は、フランス南部の農村にあるレストラン(「オーベルジュ・デュ・ヴィユー・ピュイ」)の、1992年に開業して2010年に三つ星を取るまでのミシュラン三つ星を熱望した道のりから始まって、ミシュランの評価を絶対的なものとして生きるレストラン、それから、星の発表と同様ほとんど語られることのなかったミシュラン社の歴史、日本をはじめ欧州以外の各国へ進出していったここ数年のミシュラン自身の価値観の変化など、ミシュランにとどまらず、今のレストランという業態や外食という食文化そのものについても言及されていて、料理関係者でない一般読者にも考えさせられることが多い。取材している人の多さは、本書の客観性を支えているように感じた。全300ページ。

第一章  三つ星狂想曲
第二章  素顔の調査員
第三章  劇場としてのレストラン
第四章  格付けの思想史
第五章  故郷を訪ねて
第六章  「王朝」の系譜
第七章  背を向ける人々
第八章  変貌するガイド
第九章  日本上陸

「星の評価は皿の上だけ」と言い始めたワケ

私自身が以前から気になっていたこととして、
「ミシュランが、評価の基準として『皿の上だけが評価基準』というのを言い始めたのはいつで、それはなぜか」
ということがあった。それもこの本に言及があった。

そもそも欧州のレストランで三つ星を持っているお店は、ほぼ例外なく豪華な箱、隙のないサービスが料理とセットであり、化粧室が男女別になっていなければ三つ星は取れないという半ば冗談が語られるくらい、料理の外側も評価基準になっていたのでは、という先入観があったので、皿の上だけに評価を限定するようなことをことさらにミシュランが言い出すようになったのには素朴に疑問を感じていた。

本書によれば、ニューヨーク版が出た2005年、フランス版の星の評価の基準の説明で、評価の対象としてそれまで使ってきた「ターブル」(食卓)という単語をやめ「キュイジーヌ」(料理)という単語を使うようになってきたからだという。
筆者は、作家の宇田川悟氏の言葉として、次のような言葉を紹介している。

「ターブルは、ブルボン王朝以来の伝統を誇る総合的な食卓芸術を意味している。これをキュイジーヌと言い換えることによって、ミシュランは歴史のくびきから逃れ、米国や日本に進出する手がかりをつかもうとした」(291ページ)

そして、このミシュランの評価基準を根本から変えるような発想の転換は、営業的な事情や、当時の編集長だったジャン・リュック・ナレ氏の編集方針・・・というよりは、07年にフランス大統領に就任したサルコジの姿と重なるという宇田川氏の考えを紹介している。

フランス人は、それまで培ってきた文化や伝統を捨て、ワインも料理もわからない男を大統領に選んだ。
その歴史的なフランスの発想の転換が、(海外進出した)経済的事情もあるとはいえミシュランの発想に通底しているところに着目した考え方は興味深い。そういう部分からも、ミシュランはそもそもフランスの一私企業であることを、思い返す必要があるように感じた。

ミシュランガイドのなりたちが、本業であるタイヤの販促のためであるという経緯は有名だが、その理由が、そもそも創業者兄弟が、兄がパリの社交界でガイドを宣伝し、弟がタイヤ製造の責任を負うという分業体制をとっていたこと、なぜタイヤの販促にガイドを出すのかという理由として、タイヤは数年に一度しか買い直さないので、その間の客を繋ぐアイテムだったからというようないきさつにも、本書では多くのページを割かれている。

これらのエピソードは、ともすればミシュラン社そのもののトリビアに近いものではあるけれども、現在のミシュラン社のありかたに繋がり、今後のミシュランガイドのゆくえを考えさせるきっかけになるものだと思うと、やはり、これまであまり語られてこなかった、そういうバックグラウンドについても、本書で知っておく必要があるように感じた。

「ミシュラン 三つ星と世界戦略」(国末憲人著)2011、新潮選書