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「あっ、変わった」
最初に感じたのは、視線だった。

富雄時代には客席からはるか遠くにあったキッチンが、新しい今の店では、通路を挟んですぐ向こうにある。ガラス張りの開放的なつくりだ。
見守られている、という安心感。視線のやりとり。
「おいしいです」
こちらも、川島さんに視線だけ返す。

モダンスパニッシュレストラン・akordu(アコルドゥ)が、奈良・富雄駅隣接の近鉄旧富雄変電所を改装した店を閉め、いまの場所に移転してきたのは2016年末のこと。
富雄時代のakorduが2014年3月に閉店してまもなく、奈良の食材にこだわった料理をコンセプトに掲げたカジュアルなレストランAbarotz(アバロッツ・木々をわたる風、ざわめきという意味のバスク語)が生駒にオープン、そこでのワンクッションを経ての開店だ。

現在の店がある水門町は東大寺の境内にあたり、店の目の前は知事公舎という、奈良を象徴する一等地だ。
周囲は境内の緑が借景となって、都会の真ん中だということを忘れさせる。

コースは昼1種類、夜1種類。

奈良ほうじ茶とハーブ
オリーブ
醤酢に蒜搗き合
(た)てて鯛願う
野迫川のアマゴ 砕き胡瓜とディル
奈良のぶどう アホブランコとペドロヒメネス
三輪山本の海藻類 磯の香りとサザエ
水辺のエビ 稲わらとハーブ
ネブカのカルソッツとハタ ロメスコソース
大和牛と護摩木 ひもとうがらしと松の実のおが屑
五條の小麦もち うにと乾いた醤油
モンブラン 奈良の栗とほうじ茶
地のくだものと野菜 ラヴェンダーの冷たいソパ


食材を並べた料理名のなかに、明らかに毛色が違うのが2つ。
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醤酢に蒜搗き合(た)てて鯛願う
歌の一節がメニューの名前になっている。
鯛のにんにく味噌和え。前菜の1品目からにんにくが強烈に香る。
印象的な題名は、古歌「醤酢(ひしおす)に蒜搗き合(か)てて鯛願ふ我にな見えそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)」(長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)『万葉集』巻16)から。
「醤酢に蒜を搗き混ぜて鯛が食いたい わたしの目の前から失せろ 水葱の羹よ」。

「鯛食わせろ」という身もフタもない歌だ。
万葉集の中でも俗っぽい言葉が用いられている歌で、このにんにくのむき出しの強さにふさわしい。醤酢はもろみに似た当時の高級食材で、一方の水葱は安価で味も良くなかったのだそうな。
日本酒をサービスしてくださった。
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ちなみにこの歌、日本で酢を使った料理の具体的な記載で、最も古いものだという。
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大和牛と護摩木 ひもとうがらしと松の実のおが屑
奈良・生駒山は、役行者(えんのぎょうじゃ)による鬼退治の伝説で知られる。
前鬼・後鬼という夫婦の鬼が悪さをしていたところを役行者が懲らしめたという伝説で、​生駒の千光寺には、その役行者と鬼の像がある。
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川島さんはその伝説を用いて、護摩木の香りを牛肉に移し、「改心したい、鬼のままでいたい」という鬼の葛藤を焼いたひもとうがらしにこめたという。
役行者が当時食べていた松の実と、食べてはいけないとされていた玉ねぎのシェリーマリネが添えられている。
「役行者も、玉ねぎを本当は食べたかったのではないかと思うんです」。
鬼も役行者も葛藤していたはず、という川島さんの解釈が、料理に人間的な温かみを添えている。
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野迫川のアマゴ 砕き胡瓜とディル
アマゴ、きゅうり、ディルのジェラート。
次の2つは、富雄時代にもあった、奈良の自然や川島さんの記憶を食感や味のパーツの構成でひとつの料理にしたもの。
奈良の川魚・アマゴ。合わせたのは、鮎に似た瓜臭さを連想させるきゅうりで、魚の泳ぐ川のイメージまで伝わってくる、川島さんがよく使う食材だ。​
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水辺のエビ 稲わらとハーブ
エビの半生な感じと、つるむらさきのぬめりが、水辺のしっとりした感じを思い起こさせる。
稲わらの香りはスープに付いているのか、田んぼの側の水路で稲わらを燃した晩秋のイメージだ。
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地のくだものと野菜 ラヴェンダーの冷たいソパ
「畑を皿の上に表現しました」。
色とりどりの果実に紫のスープ。ラベンダーが花の香りを添えている。
富雄時代の名作「水面の月 スミレの海 」や「生まれたてのミルク 39℃」など、すぐ食べないと目の前から消えてしまいそうな、水を基調とした繊細なデザートの延長上にあるもの。
いとおしむようにスプーンで掬う動作が、「地のくだもの」をいとおしむ動作に重なる。

「目の前にある」ことの哀しみ


川島さんの料理は、食べていて感情を揺さぶられ、涙ぐんでしまうような思いを呼び起こされる。それはなぜなのだろう。

川島さんの料理のキーワードは店名の通り「記憶」だ。

Akorduとはバスク語で「記憶」という意味で、食材を味のパーツとしていったん解体し、その上で組み合わせ、食べ手と共有する「記憶」として提供する。
その、食材という観念から離れる自由な発想は、バスク地方の著名なレストランMugaritzでの修業によるものだろう。

富雄時代に料理にあらわれる「記憶」は、川島さんの目を通した自然を追体験するものだったが、移転後のいま、奈良の象徴的な場所にある必然として、記憶を呼び起こすものは、自然から奈良の歴史や物語に変わっている。

かつて川島さんが語っていた「食材の固有性・土着性は生かしつつ、料理を洗練させなければならない。『土着と洗練』が今後のキーワード」ということば。
「土着」は、いま、このように洗練された形で目の前に現れた。
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「食べるのがもったいない」などとよくいうけれど、いま目の前にあるものがなくなってしまうことに、私たちは本能的に哀しみを感じてしまうものらしい。

この美しい素敵なものを、目の前にずっと置いておきたい。
でも、食べたい。食べなければ。
食べるという本能に、私たちは打ち勝つことはできない。

川島さんの作る料理は、食べるという行為に必ず付随するこれらの葛藤を、いやおうなく思い出させる。今もメニューにときどき載っている「たった5秒の海」のようなメニューの名前は、失ってしまうものの哀しみを、象徴的にあらわしている。

目の前に置かれた料理――"これから消えてしまうもの"に光があるとするならば、それは私のためだけにあり、今、ここにしかないものだ。
そして次の瞬間に光は失われてしまう。ほかならぬ私の手によって。
そう考えると、食べるという行為は、なんと喜びと哀しみに満ちたものなのだろう。

だからこそ。
「あなたのため」に作られ差し出される、今この瞬間に失われることを運命づけられた料理という恩寵に、私はいとおしさを感じる。
その料理は私の手の中で、これからも限りない輝きを放つのだ。
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akordu アコルドゥ
奈良市水門町70-1−3−1
0742-77-2525 月休
12:00~22:00(19:00LO)
昼6,500円 夜13,000円
公式 http://www.akordu.com/